摩文仁の丘より » 太平洋戦争

太平洋戦争

2010年5月13日

枕崎・平和祈念展望台より、戦艦大和を想う (03) エピローグ 指宿枕崎線から開聞岳を見る

 来た道を引き返してホテルに戻り、チェックアウトを済ませた私は、ホテルの女将さんの車で枕崎駅にほど近い南溟館という美術館まで送ってもらった。シーサイドホテル八潮は古かったが、親切な女将さんだった。女将さんの話では、枕崎は観光客はあまり見かけないという。ホテルの利用客も観光目的よりは仕事で訪れる客が多いと言っていた。

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2010年5月13日

枕崎・平和祈念展望台より、戦艦大和を想う (02) 殉難鎮魂之碑から東シナ海を望む

 朝七時半頃に目が覚めた。窓から外を見ると、朝日が眩しい。快晴で穏やかな一日になりそうだ。
 私は八時過ぎにホテルを出た。ホテルのすぐ裏手の海岸沿いが、火之神公園という東シナ海を一望できる公園になっており、岩場が海に鋭く切れ込んでいる。
 岩場に出てみると、岬の先に「立神岩」と呼ばれるロウソクのような形状が印象的な巨岩が、海からひょっこりと立っている。この立神岩は、高さが四十二メートルあり、枕崎のシンボル的存在だという。

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2010年5月13日

枕崎・平和祈念展望台より、戦艦大和を想う (01) 枕崎到着

 二〇〇九年七月のある日の夕方、鹿児島県にある万世特攻平和祈念館を訪れていた私は、タクシーで加世田のバス停に戻り、そこから枕崎に向かうバスに乗り込んだ。

 特に何か目的があったわけではなく、枕崎を訪れるのはまったく初めてのことだった。今回の旅で、鹿児島を訪れた最大の目的だった知覧特攻平和会館と万世特攻平和祈念館を訪れることができたので、その日は鹿児島中央駅に引き返さずに、寄り道して枕崎あたりで宿を探して一泊し、翌日はJRの路線でもっとも南を走る路線と言われているJR指宿枕崎線に乗って、ぐるりと薩摩半島を回って鹿児島中央駅に戻ればいい、そんなことを考えたのであった。

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2010年5月13日

2010年4月28日

万世特攻平和祈念館 (03) 万世飛行場の営門と灯籠

結局最後まで、見学者は私の他に誰もいなかった。一人だけの万世特攻平和祈念館。私には、そこが誰もいない静かな修道院か教会のように思われた。そのおかげで静かに、ゆっくりと展示物を見ることができたし、特攻隊員たちが書き遺した遺書を読みながらついこみ上げてくる涙も、あまり気にすることもなかった。

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2010年4月28日

万世特攻平和祈念館 (02) 万世飛行場からの出撃

万世特攻平和祈念館の内部は1階と2階に分かれており、知覧の特攻平和会館より小規模な資料館のようであった。見学者らしき人は私以外に誰もいなかった。1階の入口には、吹上浜から引き揚げられたという零式三座水上偵察機がフロアの大半を占めるように置かれてあり、それが私の目を引いた。

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2010年4月28日

万世特攻平和祈念館 (01) 万世特攻平和祈念館到着

2009年7月のある日、午前中からお昼まで知覧特攻平和会館を見学していた私は、駐車場そばにある観光案内所で、次の目的地である加世田の万世特攻平和祈念館への行き方について尋ねていた。係の人の話によると、加世田行きのバスは、知覧特攻平和会館の近くにある特攻観音入口バス停からではなく、二つほど鹿児島中央駅方面に戻った知覧バス停から発車しているという。あいにくバスの時刻表を見ると特攻観音入口から知覧までのバスがずいぶん待たされるし、それに乗ると加世田行きのバスに乗るのが遅くなってしまう。ここから知覧バス停は2kmほどだというので、知覧バス停まで徒歩で行き、そこから13:30発の加世田行きのバスに乗ることにした。

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2010年4月28日

2010年4月27日

知覧特攻平和会館 (06) 戦後の復興

小部屋の聴衆たちは、水を打ったように静まりかえっていた。いや、全員が涙をこらえているかのような、辛い雰囲気だったかもしれない。聴衆を前にした職員のおじいさんが再び口を開いた。

しかしいずれにしましても、このような戦闘機に爆弾をくくりつけて、敵の艦船に体当たりするといったような命の尊さを無視した戦法は、絶対にとってはならないことだと思います。また戦争もなくに越したことはありません。しかしながら一歩外に目を向けますと、地域紛争は絶えませんし、国によってはご飯もロクに食べられない、あるいは内紛続きで、まだまだ発展途上の国が世界にはたくさんある中で、我が国は戦後、見事に復興して繁栄をきわめております。

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2010年4月27日

知覧特攻平和会館 (05) 特攻隊員たちの遺書

特攻隊員が出陣の直前に愛する人や家族に書き残した数々の遺書。それを読むことは、なんと辛く、悲しいものだろうか。職員のおじいさんは、しみじみと語った。

大きな遺品室に入りまして右側の方から、出撃順・戦死順に時計と反対回りにその遺影と関連の遺書・手紙が展示してございます。その中から特色のあるものを二、三紹介させていただきます。

(遺影を見せながら)この方はアイハナ少尉、宮城県出身で18歳。さきほど紹介してまいりました少年飛行兵として5月4日、特攻戦死です。この方二人兄弟でした。上に8歳ほど離れたお兄さんがいたんですけれど、この方が6歳の時にお母さんが病気で亡くなるんですね。それでお父さんは一人で子育てが大変だと言うこともありまして、再婚をいたします。上のお兄さんは新しいお母さんにすぐになじんだんですけれども、この人はなかなかなじめなかった。おそらく前のお母さんへの想いも強くて、かなり反発していたんじゃないかと思うんですね。しかしながら新しいお母さんのことも考えていたと見えて、特攻で亡くなる前の日に、新しいお母さんに手紙・遺書を書くんです。それをご紹介いたします。

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2010年4月27日

知覧特攻平和会館 (04) 特別攻撃隊の誕生

私は、職員のおじいさんのトークの続きに耳を澄ました。

開戦後、あっというまにオーストラリアのすぐ近くまで進出いたします。8000kmも離れているんですね。ところが半年ほどしますと、アメリカ軍を中心とした連合軍が体制を整えて反撃に転じてまいります。それ以降は防戦一方になり、開戦から3年後、昭和20年の初頭になると、沖縄はもちろん本土にもかなりの空襲が激しくなってまいります。当時政府としては、沖縄は本土の第一線として、絶対に守らなければならない重要な地域として考えておりましたので、そこで生まれたのがいわゆる特攻作戦だったわけです。つまりこの作戦はアメリカの物量、アメリカはたくさんのモノを持っています。日本はほとんどモノがありません。その少ないモノになんとか精神力を入れて、大きな戦闘力にしようとしたところに、狙いがあったわけです。

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2010年4月27日

知覧特攻平和会館 (03) 太平洋戦争勃発

語っている平和会館の職員の方は、孫が2、3人ほどいそうに見える穏やかそうなおじいさんだった。ときどきプロジェクターで、資料をスクリーンに映しながら、話を進めていく。私は彼の話の続きに聞き入った。

昭和16年12月8日、ハワイ真珠湾攻撃を皮切りに太平洋戦争が始まり、日本軍は東南アジアのほうに進出するのですが、当時の東南アジアの国々のほとんどが、アメリカ・イギリス・フランス・オランダなどの植民地になっておりまして、長い間列強、民族で言うと白人なんですが、東南アジアの国々は支配を受けておりました。

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2010年4月27日

知覧特攻平和会館 (02) 特攻隊員たちの遺影

知覧特攻平和会館の前に着いた。建物の入り口はこんな感じだった。非常に近代的な建物だった。

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ここに、散華した特攻隊員たちの写真・遺書・遺品など約4,500点が展示されている。私は少し緊張を覚えながら、建物内に進んでいった。

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2010年4月27日

2010年4月26日

知覧特攻平和会館 (01) 知覧到着

鹿児島県南九州市知覧(ちらん)町。
2009年7月、夏のある日の朝、私は鹿児島中央駅からバスに乗り、その町へ向かっていた。
いつのことか忘れたが、知覧にはかつて太平洋戦争中に、日本帝国陸軍の特別攻撃隊、いわゆる特攻が飛び立っていった「知覧飛行場」が存在し、今はその跡地に特攻に関する資料を収拾・展示している「知覧特攻平和会館」という施設があると聞いた。
それ以来、私は機会があればその地を一人で静かに訪れてみたいと思っていた。そう、できることなら誰かとともにではなく、一人で行ってみたかった。なぜかは分からない。多分想像することすら困難な過酷な時代に散華していった「特攻」という存在に、向き合ってみたかったのかもしれない。
そうしてようやくその日、私は知覧行きのバスに揺られていた。

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2010年4月26日