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2010年4月28日
万世特攻平和祈念館 (03) 万世飛行場の営門と灯籠
結局最後まで、見学者は私の他に誰もいなかった。一人だけの万世特攻平和祈念館。私には、そこが誰もいない静かな修道院か教会のように思われた。そのおかげで静かに、ゆっくりと展示物を見ることができたし、特攻隊員たちが書き遺した遺書を読みながらついこみ上げてくる涙も、あまり気にすることもなかった。
私は万世特攻平和祈念館の外に出た。それまで私の頭の中を占めていた出撃する特攻機や敵艦への突入のシーンとはあまりにかけはなれた穏やかな夏の傾いた太陽の光。吹き抜ける夕方の風。あの過酷な時代から64年の歳月が過ぎた。私はおそらくこのあたりが万世飛行場の一角であったと思われる道を歩いてみた。すると万世飛行場の営門があった。
特攻隊員たちは出撃の日にここを通っていったのだ。道を振り返ると、灯籠が整然と静かに並んでいる。私は灯籠に刻まれた文字を読みながら歩いた。
灯籠に込められた遺族の悲しみは、察するにあまりある。今日はいくつ灯籠を眺めただろう?これらの灯籠のひとつひとつが、愛する家族を戦争で失った悲しみを今に伝えている。
飛行場の滑走路はどの辺だったろうか?今はその痕跡が分かるものを探すのは難しいようだ。それでも私は、灯籠の間を歩きながら、沖縄へ向けて今まさに出撃していく特攻隊員たちが乗った戦闘機を見送っている自分の姿を想像していた。
誰もいない道を一人でうろうろしている私を見て、3人連れの方がこちらに歩み寄ってきた。どうやら私が万世特攻平和祈念館に見学に来た者のように見えたらしく(まさにそのとおり)、言葉を交わすと、その方々は万世特攻平和祈念館の関係者のようだった。どちらから来なさったと聞くので、東京から来ましたと答えると、「研究者かモノ書きですか?一般の観光の方は、なかなかここまで来ないもんですから」と言うから、「ただの旅行者です」と答えた。そしてどうすれば来館者が増えるかという話になった。
私は率直に意見を述べた。
「公共の交通機関を使ってここに来るのは大変でした。不便なのはしかたがないとしても、どうすれば来ることができるのかのオフィシャルな情報がなさすぎる気がします。今は事前にネットで調べて来る人が多いので、ネット上に情報があれば、例えば私のようになんとかして来たいというモチベーションがある方は、たとえ遠くからでも飛行機でもバスでも乗り継いで足を運んでくれると思います。しかし情報がないと不便ながらも交通手段はあるにもかかわらず、行き方が分からなくて途中でギブアップする人もいるかもしれない。施設の展示物は素晴らしいし、貴重な資料も豊富にあるのだから、なるべく多くの方に来てもらいたいと私も思いますし、そこを改善するだけでもだいぶ違ってくると思いますよ」
私の感想が参考になるとよいのだが。
私は再び一人になり、さあ、これからどうしようかと考えた。だいぶ日も傾いてきた。その日宿泊する宿もまだ決めていなかったのである。旅の荷物は、鹿児島中央駅のロッカーに入れっぱなしだ。そうだ、加世田のバス停にタクシーで戻って、もし枕崎に行くバスがあったら、行ってみよう。なけりゃ、加世田からバスで鹿児島中央駅に戻ればいい。私は行きのタクシー運転手からもらった名刺を取り出し、そこへ電話をした。
2010年4月28日 16:29

