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2010年4月27日

知覧特攻平和会館 (03) 太平洋戦争勃発

語っている平和会館の職員の方は、孫が2、3人ほどいそうに見える穏やかそうなおじいさんだった。ときどきプロジェクターで、資料をスクリーンに映しながら、話を進めていく。私は彼の話の続きに聞き入った。

昭和16年12月8日、ハワイ真珠湾攻撃を皮切りに太平洋戦争が始まり、日本軍は東南アジアのほうに進出するのですが、当時の東南アジアの国々のほとんどが、アメリカ・イギリス・フランス・オランダなどの植民地になっておりまして、長い間列強、民族で言うと白人なんですが、東南アジアの国々は支配を受けておりました。

ちなみにインドネシアは、オランダ領東インドとして340年、そしてフィリピンは当初スペインの植民地として300年ほど支配されたんですが、この時代になりますとアメリカもどんどん進出してまいります。世界の戦国時代で、強い国が弱い国を懲らしめて植民地にするというのは常道だったんですね。そしてアメリカとスペインが戦争になり(1898年、米西戦争)、結局はアメリカが勝ってフィリピンをとりあげてしまい、アメリカの植民地としてその後50年ほど続きます。

一方お隣の中国大陸も、1840年、ちょうど明治維新から30年ほど前になりますが、イギリスとのアヘン戦争に敗れてしまいまして、その後中国の多くの地域が、ロシア・イギリス・ドイツ・フランスなどの植民地になっていきました。これがやっと解決されたのが、まだ12年ほど前なんですね。みなさんよくご存じの香港が平成9年にイギリスから中国に返されましたけど、香港はまさしくイギリスがアヘン戦争のときに中国から戦利品としてとりあげたものです。

一方我が国は、江戸時代の終わりまでは鎖国政策をとっていましたけれども、明治維新になって開国をし、やっと世界のこういった厳しい状態がわかってきます。ときの明治政府は、植民地になったら大変だということで、少しずつ力を付けていきまして、日清戦争・日露戦争とつながっていくんですけれども、日露戦争までは非常に仲の良かったアメリカが、急に日本に対して冷たくなるんですね。

なぜかと言いますと、これは欧米から見た日露戦争、フランス人が書いた挿絵なんですけれども、巨人のロシアに向かって立ち向かう小さな日本人、世界の人がみんな見守っています。当時は誰もがロシアが勝つと思っていたわけです。ところがこの日本が、政治・外交・軍事が努力をして、このロシアを制圧してしまいます。一番驚いたのはアメリカです。これは日本はただ者ではない、ひょっとしたら将来我々アメリカと戦争になるかもしれないとして、戦争に関する基本計画、これをオレンジ計画と言いましたけれども、を作り上げます。

そして着々と日本に対する戦争計画を詰めてまいります。太平洋戦争はだいたいその筋書き通りになったと言われているほどです。そしてそれ以降、日本に対する輸出禁止、人種差別も厳しくなりまして、最後のとどめは昭和16年11月26日、ハルノートという最後通牒をバーンと突きつけられます。そしてこの段階で、座して植民地になるか、撃って出るかとなるんですが、日本は後者を選ぶんですね。長い間植民地支配を受けていたアジアをなんとか解放させて、アジアはアジアで共存共栄をはかるという大きな狙いをもって、東南アジアのほうへ進出していくわけです。

したがって当時は、大東亜戦争と言われた所以がここにあるわけです。このへんのくだりにつきまして、我が国の政府は、あたかも平穏無事に過ごしていた中国や東南アジアに一方的に侵略していったという立場をとっているんですが、これは外交上の思惑からくるひとつの筋でありまして、歴史上の真実とはまた異なるということもご理解いただけたらと思います。

大東亜戦争。大東亜共栄圏。その目的が「アジアはアジアで共存共栄をはかる」ことであると言い、言葉の響きは美しいが、しかし実態はどうだっただろう?東南アジアや中国・朝鮮の側から日本の行動を見れば、結局日本も欧米列強と変わらない帝国主義的・植民地主義的な侵略行動をとっただけであり、アジアの共存共栄という理念からはほど遠かったのが現実という意見が多数ではないだろうか?

私は「アジアはアジアで共存共栄をはかる」という理念については理解できる点もあるけれど、やり方が非常にまずかったのではないかと思う。つまり武力を背景に銃剣を突きつけて、都合良く動かそうというやり方だ。それと侵略は何が違うのだろう?当時の日本政府にアジア諸国に対する差別的な見方や価値観がなかったとは言えない。

植民地化されていたアジア諸国を欧米列強から解放し、独立を援助し、その上で資源が必要なら武力を背景に横取りするのではなく、きちんと貿易する。そういう考えは、帝国主義の世界情勢に直面していた当時の政府要人の頭に浮かぶことはなかったのだろうか?いたかもしれない。しかし全体として、日本がとった姿勢は、武力で日本の考えややり方をアジア諸国に強制することだった。私にはそれが残念に思えてならない。

「知覧特攻平和会館 (04) 特別攻撃隊の誕生」に続く

2010年4月27日 18:06