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2010年4月28日

万世特攻平和祈念館 (02) 万世飛行場からの出撃

万世特攻平和祈念館の内部は1階と2階に分かれており、知覧の特攻平和会館より小規模な資料館のようであった。見学者らしき人は私以外に誰もいなかった。1階の入口には、吹上浜から引き揚げられたという零式三座水上偵察機がフロアの大半を占めるように置かれてあり、それが私の目を引いた。

館内に置かれていた資料によると、万世飛行場から出撃し、戦死したのは201人。
・特攻振武隊 出撃回数29回 戦死者数121人
・第66戦隊 出撃回数19回 戦死者数72人
・第55戦隊 出撃回数5回 戦死者数6人
・その他 戦死者数2人
・合計 201人

そのうち特攻振武隊について見ると、
・第62振武隊 10人
・第63振武隊 6人
・第64振武隊 9人
・第66振武隊 4人
・第72振武隊 10人
・第73振武隊 12人
・第74振武隊 12人
・第75振武隊 10人
・第102振武隊 12人
・第104振武隊 10人
・第141振武隊 2人
・第144振武隊 3人
・第432振武隊 10人
・第433振武隊 11人
14隊 121人(延べ29回出撃)

振武隊が特攻に使用した戦闘機について見ると、
・99式襲撃機 91機
・2式高等練習機 21機
・1式戦闘機(隼) 5機
・97式戦闘機 4機
合計 121機

99式襲撃機がもっとも使われている。このタイプは、昭和14年6月から1461機生産され、旋回や急降下・低空飛行の操縦性は抜群であったという。航続距離は1060km、沖縄への往復がぎりぎりらしい。あるいは沖縄まで片道なのだから、作戦遂行可能ということなのかもしれない。練習機も21機使われている。練習機は、練習機でないのか?
万世飛行場から最初の特攻隊が出撃したのが、終戦より4ヵ月前の昭和20年4月6日。日本海軍が誇り当時世界最大と言われた戦艦・大和が沖縄に向かい、米軍の攻撃により徳之島沖で轟沈したのが同年4月7日。その後弾尽き矢折れるまで、ここ万世から次々に特攻隊員は飛び立っていった。敗戦が決定づけられた戦いに、ただ愕然とする。

2階の展示室に上がると、万世飛行場から出撃した隊員たちの遺影や遺品、母への手紙、遺書、日の丸に記された寄せ書きなどがきれいに並べられてあった。知覧特攻平和会館のトークで、子犬を抱いた少年飛行兵たちとして紹介されたあの第72振武隊は、昭和20年5月27日早朝に、この万世飛行場から出撃したのだ。展示された手紙の中から、写真の中で子犬を抱いていた荒木幸雄伍長が、出撃直前に家族に宛てたという手紙をみつけた。

最後の便り致します
其後御元気のことと思います
幸雄も栄えある任務をおび
本日(廿七日)出発致します
必ず大戦果を挙げます
桜咲く九段で会う日を待っております
どうぞ御身体を大切に
さようなら

私は彼の魂に、こうつぶやきたい。
若くして命を散らせたあなたの運命を知り、九段で見る桜がそれまでとは違ったものに見えます。九段の桜は、ほんとうにきれいで、生きていることの尊さを伝えてくれます、と。

「万世特攻平和祈念館 (03) 万世飛行場の営門と灯籠」に続く

2010年4月28日 14:40