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2010年4月28日

万世特攻平和祈念館 (01) 万世特攻平和祈念館到着

2009年7月のある日、午前中からお昼まで知覧特攻平和会館を見学していた私は、駐車場そばにある観光案内所で、次の目的地である加世田の万世特攻平和祈念館への行き方について尋ねていた。係の人の話によると、加世田行きのバスは、知覧特攻平和会館の近くにある特攻観音入口バス停からではなく、二つほど鹿児島中央駅方面に戻った知覧バス停から発車しているという。あいにくバスの時刻表を見ると特攻観音入口から知覧までのバスがずいぶん待たされるし、それに乗ると加世田行きのバスに乗るのが遅くなってしまう。ここから知覧バス停は2kmほどだというので、知覧バス停まで徒歩で行き、そこから13:30発の加世田行きのバスに乗ることにした。

快晴の暑い日だった。真夏の鹿児島の太陽の下を歩いていると汗がにじみでてくる。知覧のバス停までの山間の道に沿って、灯籠がどこまでも並んでいた。

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知覧のバス停から13:30発の加世田行きのバスに乗り込む。これを逃すと次のバスは14:50。加世田に着いても、万世特攻平和祈念館は閉館してしまうだろう。バスは緑豊かな山間部を走り、1時間ほどで加世田に到着する。ところが観光地ではないので、ここからどうやって万世特攻平和祈念館まで行ってよいのか分からない。ただ街の中に放り出された、そんな感じである。地図を見ると距離的には自転車でも行けそうだ。レンタルサイクル屋が目の前にあったので立ち寄ってみたが、誰もいない。飯でも食いに行っているのか、人の気配がない。あきらめて、バス停の近くに泊まっているタクシーの運転手に声をかけた。万世特攻平和祈念館はタクシーで15分ほどだという。初めてきた土地で時間を無駄にしたくなかったので、私はタクシーで行くことにした。

タクシーの運転手が気さくなおじさんで、どこから来たのかと聞く。東京から来たが、今日は万世特攻平和祈念館を見学するために、鹿児島中央駅からバスを乗り継いで加世田に来たというと、珍しそうな表情を浮かべた。観光客は少ないんですかと尋ねると、加世田に来る観光客はほとんど見かけないという。確かに知覧特攻平和会館と比較して、万世特攻平和祈念館は交通の便が良くないし、情報があまりない。知覧特攻平和会館の駐車場に観光バスが何台か停まっているのを見かけたので、知覧は観光ルートになっているようだが、万世特攻平和祈念館はいくぶん様子が違うようだった。しかし私は観光客があまり立ち寄らない街を旅するのが好きだ。

運転手と世間話をしながら、万世特攻平和祈念館に着いた。帰りのことは考えてなかったが、運転手に名刺をもらい、もし迎えが必要だったら連絡することにした。ようやく万世特攻平和祈念館に着いた。時計は既に15時を回っていた。

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誰がデザインしたのか分からないが、ずいぶん変わった形の建物だ。資料によると、パイロットの練習機「赤とんぼ」の複葉型を模したものだとある。

建物の手前に、「よろずよに」と書かれた特攻隊員のレリーフがあった。この名前は、地名である万世からとったものだという。

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その足下に文字が刻まれてあった。

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昭和十九年、太平洋戦争の戦局はとみに悪化し、すでに決定的段階を迎えんとしていた。
ここ加世田吹上浜の地に、戦勢転換の神機を期すべく地元民学徒ら軍民一致の協力によって、本土防衛沖縄決戦の基地萬世飛行場が建設された。
昭和二十年三月二十八日より終戦に至るまで、陸軍特別攻撃隊振武隊の諸隊、飛行第六十六戦隊、飛行第五十五戦隊の若き勇士たちは、祖国護持の礎たらんと、この地より雲表の彼方へと飛び立った。一機また一機と。征きて帰らざる者あまた。或は空中に散華。或は自爆。壮絶にして悲絶。その殉国の至誠は鬼神もこれに哭するであろう。
終戦以来幾星霜、ここに祖国は、その輝かしき復興をとげた。われら生き残りたる者と心ある人々は、英霊の魂魄を鎮め、その偉勲を讃えんがために、ここにこれを建立する。
昭和四十七年五月二十九日
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そしてもうひとつ。萬世陸軍・特攻振武隊・航空戦隊 戦没者慰霊碑の由来について。

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ここは、我が国三大砂丘の一つに数えられる吹上浜の南端に位置し、太平洋戦争の戦局が急を告げつつあった昭和十八年の夏から十九年の末にかけて本土防衛、沖縄決戦の軍航空基地として建設された「萬世陸軍飛行場」の一角にあたる大戦の思い出の地でもあります。
昭和二十年三月から燃料を集積、三月末から飛行第六六戦隊が配置され、さらに同年四月初第六航空軍の作戦計画によって特別攻撃隊及びその掩護と防空の飛行第五五戦隊も配置され特攻基地となり、沖縄作戦のもっとも熾烈を極めた七月下旬までに、ここ万世基地から飛行第六六戦隊及び特攻振武隊の諸隊、これを掩護する飛行第五五戦隊の若き勇士が祖国護持の礎たらんと勇躍沖縄方面へ出撃し、南海の大空に散華したのであります。
終戦後幾星霜、今では当時の面影として、営門と水槽を残すのみとなりましたが、ここに立って松風や潮騒を耳にしながら「祖国のため」を合言葉に、征きて帰らざる壮途についた紅顔の英姿をしのびつつ平和へ誓いを新たにしたいものです。
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私は万世特攻平和祈念館の中に入っていった。

「万世特攻平和祈念館 (02) 万世飛行場からの出撃」に続く

2010年4月28日 00:37